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13.“Stuart Sutcliffe”氏による生前の作品で、「HAMBURG 1961 Cat No. 21」と題されたものです。
1989年に氏の作品の管理者「STUART」によってLondonで発行された、599/850の通しナンバーと、遺族である妹の“Pauline Sutcliffe”のサインが書き込まれた公認複製画(ポスター)で、サイズ的には割と大きめの作品です。ここに掲載されてはおりませんが、これ以外にももう1種類あります。
この方の、生前の作品もそれなりの数が残されており、1994年に日本では「スチュアート・サトクリフ絵画展」が催されました。
また、2000年にリヴァプールを訪れた際に入手して私も所有している「STUART: The Life and Art of Stuart Sutcliffe」という生前の記録+作品集で構成された限定出版の大型書籍が作られています。“The biography”と呼ばれる記録部分がサイズ240 mm x 170 mmの232ページ、“The sketchbook”と呼ばれる作品集がサイズ185 mm x 112 mm 152ページの豪華本です。発行者は Pauline Sutcliffe と Kay Williamsで、序文をAstrid Kirchherr、後書きをCynthia Lennonがそれぞれ添えています。
これには、上記の人々も含めて、当時の関係者の多くが協力して携わっているため、“Stuart Sutcliffe”に関してのその殆どが網羅されていると思われます。
余談ながら、“ポール・マッカートニー”は自分こそが“ジョン”の相棒となるべきビートルズのNo.2であり、ベーシストとなりたかったかったことから、邪魔な存在であるジョンの親友“スチュアート”を追い出すため、日夜彼に辛く当たっては、イジワルを行っていたそうです。(ずっと後年になってそれを認めて、勿論「反省」しておりましたが。)彼の死後、念願のベーシストと、ビートルズのNo.2の座をも手にしたわけですが、多少は“後ろめたい”気持ちがしたんでしょうね。当時はまだポールだって18歳で、高校の上級生くらいだったんですから、“若気の至り”というわけです。そして、皮肉なことに、上記の“スチュアート”の実妹の“ポーリーン”さんは、当時は“ポール”のファンだったそうで、自分の兄にイジワルなことも知っていたとか? それでも“ポール”がカッコ良かった、とのことです。
以下には、“Stuart Sutcliffe”氏の作品「Mixed Media on Paper Humburg 1960-1962」を参考までに、その一部を掲載しております。
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